『死ぬ時は白ウサギの時間に決めているのよ』 ・・・・それはアリスおばさんの口癖だった。 私が白ウサギの時間っていつなのって何度聞いても笑って、教えてはくれなかったけど。 Afterward アリスおばさんが亡くなったのは穏やかな午後だった。 柔らかな風が吹く暖かい午後の陽ざしの中で、アリスおばさんは何かを待っているように浅い息を何度も何度もしていた。 枕元では母さんが泣きながらアリスおばさんの手を握っていて、父さんは痛ましそうな表情でそれを見下ろしている。 姉さんと妹は所在なさげにおばさんのベッドの脇に立ち・・・・私は、一歩離れた所からそれを見ていた。 悲嘆に暮れる私の家族とは正反対に、今から命を終わらせようとしているアリスおばさんは穏やかに見えた。 ただ何かを待っていて、そのために後少しの呼吸をしていて・・・・。 ポーン、ポーン、ポーン。 不意に、軽い音が耳を打つ。 (3時・・・・) 聞き慣れた音に私がはっとしたその時、おばさんは笑った。 苦しいはずなのに、ふっと笑って・・・・そうして、最後の息をした。 ―― あの日から三日。 葬儀は何の問題もなく終わって、近くの墓地に一つ新しいお墓が増えた。 真新しい墓石の前に、私は一人で立っている。 喪服を着ている人間はもう私だけで、周りにいた参列者も家族も、もう教会の方へ戻ったはずだ。 もしかしたら姉か妹は私がいなくなったことに気がついているかも知れないけれど、私がアリスおばさんにお別れを言っているんだと勝手に気を回してくれるだろう。 そう、私とアリスおばさんは仲がよかった。 仲がいいというか、私が一方的に懐いていたのかも知れない。 アリスおばさんは亡くなる直前まで出版の仕事をしていて、いつも忙しくしている人だった。 母さんやお祖父様が煩く言っていたのに、とうとう結婚もせずお祖父様が亡くなった後は一人でそのお屋敷に住んでいた。 けれど日曜日の三時のお茶だけはいつも必ずゆっくりととっていて、その事を知っていた私はしょっちゅうその三時のお茶に混ざっていた。 母さんや姉さんは私がアリスおばさんに憧れているんだと思っていたみたいだけど、それはちょっと違う。 不思議とアリスおばさんの側は心地よかったのだ。 アリスおばさんはそんなに人好きするような温かい人、という感じではなかったけれど私に何かを押しつけたり求めたりはしなかった。 ただ、日曜日の三時に私が母さんの実家でもあるお屋敷の庭に顔を出すと、それを見て少しだけ仕方なさそうに笑って。 『また来たの。』 そう言って、ちゃんと用意してあった二人分のカップにお茶をついでくれただけだ。 それなりに美味しいお菓子と、それなりに美味しいお茶。 アリスおばさんは本を読んだり、私のおしゃべりに付き合ったりしてくれた。 ただ、それだけなのに私にはひどく心地よくて、そうおばさんに言ったらおばさんは困ったように笑って言ったっけ。 『貴女は私に似てるわ。・・・・いつか、変なウサギを見かけてもついていっては駄目よ。』 『変なウサギ?』 『そう、変なウサギ。どう変なのかは思い出したくもないから言わないけれど。』 口調はものすごく嫌そうだったのに、その時のアリスおばさんの目は見たこともないほど綺麗だったのを覚えてる。 『変なウサギについていくなんておかしいわ。』 『まあ、そうね。おかしくて、愚かだったのよ。』 そう言って話はお終いと紅茶に口を付けたおばさんだったけれど、その後、ずっと遠くを見ていたのに気がついた。 だから別の日、私は聞いてみたのだ。 『おばさん、前に言っていた変なウサギって白ウサギ?』 そういうとアリスおばさんは驚いたように目を見開いて、それから細めた。 とても、とても切なそうに。 『貴女は勘の良い子ね。』 『ねえ、もしかしてそれっておばさんの言う「白ウサギの時間」の白ウサギなの?』 口に出していて、明らかに変なことを言っていると自分で気がついていたけれど、アリスおばさんは笑いもせずに言った。 『さあ、どうかしら。私が死んだ時にきっとわかるわ。』 「わからないわ、アリスおばさん。」 ぽつり、と零した私の声が誰もいない墓地に響いた。 いつのまにか細く降り出した雨が肩を濡らす。 不思議と涙はでなかった。 むしろ母さんや姉さん達が取り乱して泣いているのがひどく空虚に見えて、葬式の時もどこか一歩取り残されたような気がしていた。 ただ、気になって仕方なかった。 おばさんは、『白ウサギの時間』に死ぬことができたんだろうか。 けしてアリスおばさんはそう言いはしなかったけれど、おばさんは『白ウサギの時間』に逝きたかったのだ。 アリスおばさんがずっと抱えてきた何かが、『白ウサギの時間』にすべて凝縮されていた、そんな気がしてならなかった。 そう思って、私はため息をついた。 「・・・・考えても仕方ない、か。」 呟いて墓石に目を落とす。 アリス=リデル。 墓石に刻まれた名前と、まだ若いといえる年齢だけが、これからアリスおばさんの存在を残していくんだろう。 考えれば考えるほど空しくなる。 アリスおばさんがいなくても世界はそのままで、あんなにおばさんに良くしてもらった私ですら劇的に変わることはない。 泣かない私を責めるように頬に降り注ぐ雨を払って私は墓石に背を向けた。 さく、さく、と私の靴音だけが耳につく。 ―― カチンッ (え?) 不意に何か機械が鳴ったような音に私ははっとして足を止めた。 反射的に振り返る。 そして ―― アリスおばさんの墓石の前に、変なウサギが立っていた。 チェックのジャケットを着た頭に耳のある青年が。 遠目にも雨ではなく、涙が頬を伝っているのがわかる。 見ているだけの私が動けなくなるほど、ウサギは痛々しくアリスおばさんの墓石を見下ろしていた。 そして・・・・いつの間に取り出したのか、ゆっくりと自分のこめかみに小型の銃を 「!!」 ・・・・音はなかった。 ただ、引き金を引いたのだけが分かった。 私が見たのはそこまでで、次の瞬間にはウサギは跡形もなく消えていた。 サラサラと雨が降る。 「・・・・あ」 どのくらいたった頃だろう。 私は自分がいつの間にか泣いている事に気がつく。 そしてぼやけた視界で操られるようにアリスおばさんの墓石の・・・・さっきウサギが立っていた所へ歩いていってそこにあった物を拾い上げた。 それは金色の時計だった。 文字盤が何かで粉々にされている時計。 それを見た途端、私の中にいくつもいくつも答えが浮かんで涙が溢れた。 「白ウサギの時間、だったんだね。」 おばさんが、逝ったのは。 そして、おばさんを追って逝ったのは。 涙が雨に混じって時計の上に零れた。 時計は壊れてしまったはずなのに、どこからか秒針の音が聞こえた気がした。 なんでとか、どうしてとか、考え始めれば切りのないことだったけれど、私に分かったのは一つだけだった。 そう、一つだけ。 ―― アリスおばさんと過ごした、あの穏やかな白ウサギの時間はもう二度と訪れはしないということだけ。 壊れた時計を握りしめて、私は泣いた。 〜 END 〜 |